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本紹介

本紹介#24「戦争プロパガンダ10の法則」

こんにちは、nonoです。久しぶりの投稿となりました。本日ご紹介したい本は、アンヌ・モレリさんの「戦争プロパガンダ10の法則」です。

戦争が起こるとき、そして知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれていく流れがどのようなメカニズムで起こるのかを理解するための参考になる、非常に貴重な本ではないかと思います。

2022年2月からウクライナで大きな争いが起こっており、各メディアでこの争いについて報道されているわけですが、プロパガンダというのは必ずどのメディアにも含まれています。プロパガンダに善も悪もなく、善と悪を二分する議論がある場合、それこそがプロパガンダになっていることが示唆されるのです。

プロパガンダに対処するための重要な視点として、「戦争」を行うのに正しい理由など存在しないこと、「戦争」という状態が最も悪であることを強く認識する必要があることを感じています。そして、「正義」で議論を進めることの危険性を強く認識しておくべきだと思います。「正義」は常に立場によって変わります。前提条件によって変わるのです。

各法則についての詳しい解説は、ぜひ本書を読んでいただいて理解を深めていただきたいのですが、私個人の忘備録として、簡単に10の法則をまとめておきたいと思います。

アンヌ・モレリさんとは

本書解説より、著者のアンヌ・モレリさんとは、1948年ベルギー生まれの歴史学者でブリュッセル自由大学歴史批判学教授とのことです。

法則1「われわれは戦争をしたくない」

どんな時代でも、「戦争」を望む国民というのはいないものです。為政者は、自ら戦争を行おうという意志を示すことは、自分の支持率に影響を与えるため、そのようなことはしないでしょう。

むしろ、「平和への意志」を積極的に口にする場合は、逆の思惑があるかもしれないと警戒した方がいいかもしれません。

法則2「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

「戦争」というのは、国民に大きな犠牲、そして国や世界の経済に大きなダメージを与える行為です。

したがって、自ら望んで戦争をすることを見せるわけにはいきません。武力はあくまで自衛のために行うと(対外的には)示す必要があるのです。

法則3「敵の指導者は悪魔のような人間だ」

戦争状態になった場合、必ず敵側の指導者は「悪魔」のような人間という印象を植え付けようとしてきます。または、無能であったり、人格に問題があるなどの、人格攻撃が行われます。

人間の憎しみを向ける相手として、不特定多数よりも、象徴的な一個人に向ける方がやりやすいのです。そこで、敵側の指導者に悪魔のような印象を与える情報が流布されるのです。

法則4「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う

戦争というものは多くの場合、経済効果を伴う、地政学的な征服欲がってこそ始まると本書は述べています。

どんなに綺麗事を並べたとしても、戦争を起こすものにとってのメリットがなければ、戦争は起こされないということでしょう。

それを隠すために使われるのが「偉大な使命」という「正義」です。「正義」というものの危険性を強く感じるのもこのためです。

法則5「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる

戦争プロパガンダではしばしば、敵側の残虐さが強調されます。

しかし、戦争状態にある時点ですでに残虐な行為が行われる状況にあり、多かれ少なかれお互いに残虐な行為が発生するリスクがあるのです。

本書の中にある例として「手を切断されたベルギーの子供たち」の話が出てきますが非常に印象的ですので、ぜひご一読いただけたらと思います。

非常に簡単に言いますと、この「手を切断されたベルギーの子供たち」というストーリーは、第一次世界大戦時に流布されたものであり、ドイツ軍の兵隊に手を切断された子供たちの話なのですが、その後の検証で全くそのような事実がなかったことがわかりました。

しかし、非常にインパクトのあるストーリーだったため、大きな反響があり、ドイツ軍に対する憎しみが増幅されることとなったようです。

本書では、連合国側のプロパガンダとして最も成功をおさめ、政治的に大きな影響力を持ったものの例として取り上げられています。

法則6「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」

戦争というものは多くの場合、技術的な優劣が勝敗を決定することになります。

しかし、敵側が想定外の非常に強力な武器を使った場合、使われが自分の方は相手がルール違反をしているというプロパガンダを流布することになります。

そうしなければ、自軍の大きな不利が明らかになり、自軍の戦意喪失や負けを認めることになってしまうからです。

そもそも戦争で用いられる兵器に、人道的なものと非人道的なものという区別があるのか、というのも疑問です。大量破壊兵器の使用が禁止された背景なども含めて本書を一読しておく価値はあると私は思っています。

法則7「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」

人は勝者の立場を好みます。そして、戦時中の世論の動向は、戦況によって左右されるため、絶対に不利であることを伝えることができないのです。

法則8「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」

プロパガンダの基本は、人々の心を動かすことです。特に、感動的なストーリーというものが、世論を動かすために利用されます。

敬虔な宗教家、有名な知識人、専門家や芸術家が、戦争に肯定的な発信が強まってきたら要注意かもしれません。

法則9「われわれの大義は神聖なものである」

本書の中で取り上げられている例として、中世、聖トマス・アクィナスが「倫理的に許される戦争」の条件を定めたそうです。

  • 正式な理由があること
  • 正式な政府が決定していること
  • 他に選択肢がないこと
  • 害をもたらす悪に釣り合った規模であること

果たして、このような条件を満たした戦争を行うことができるのでしょうか。

キリスト教だけではなく、イスラム教においても有名な「聖戦」の考え方があるのです。

日本でもかつて戦争中は近い考えたをしていたと思います。

法則10「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

本当に怖いことなのですが、プロパガンダが完成していくと、反論することができなくなっていくのです。

形としては自由な発言が許されているはずなのですが、反対意見を述べる人が迫害されていき、発言がどんどんできない環境になってしまいます。

このような状況になる前に、プロパガンダに気づいていき、世論を止めていくことがとても大切なことではないかと強く思います。

まとめ

戦争という状態自体が悪であることを改めて強く思っています。

戦争というものは、一部の得をする人間以外、すべての人が損をします。そして一番犠牲になるのは、一般庶民や戦争に駆り出される軍人の方やその家族です。特に若い人やその国の稼ぎ頭となるべき人が戦争に駆り出されます。

ゆえに、戦争をやるためには、その犠牲を払ってもやらねばならないと、国民を説得しなければならないのです。そこで、「正義」の議論や「善悪」の二元論、憎しみ、民主主義、そして煽情的な物語や映画、音楽、芸術まで利用されるようになります。

そして、各メディア(TV、Twitter、Youtube、SNS、インターネット、etc)で情報が流布されます。その情報には、必ず情報を流す側によって有利になるようなプロパガンダが含まれています。

プロパガンダはあくまで手法です。人々を良い方向に先導することができればよい使い方になりますが、必ずしもそうではないのです。

「善」「悪」や「正義」の議論になった時に、どちらのポジションの情報なのかを注意深く観察し、その情報には必ずプロパガンダが含まれていることを意志しながら、その意図に巻き込まれないように、一人一人が注意していく必要があるのではないか、と私は感じています。

また、プロパガンダというのは、決して戦争だけで使われる手法ではなく、あらゆる場面、市場経済やマーケティングでも使われていると思いますので、相手に都合よく利用されないように、プロパガンダを見抜くためのヒントとしても役に立つのではないかと思います。

情報には、一定のプロパガンダや誇張があることを差っ引いて懐疑的に見ていく姿勢を持つことが大事だと思うのです。

もし興味がありましたら、ぜひご一読いただけたらと思います。参考になれば幸いです。