こんにちは、nonoです。
こんな誰も読まないブログの状態で書き続けていることも不毛かなと思いつつ、だからこそ続けてエヴァのことにしました。
不毛かなと感じるのも、エヴァ完結の感傷の影響があるように思います。
エヴァの完結を見て感じたことは、昨日のブログでだいたい書けたかなと思っています。これ以上書くと、本当にネタバレが入ってしまうから、内容は書けないなと思っています。
それにしても、エヴァの喪失感がハンパないです。
他のことが考えられないくらい、傷心しています。他のブログの内容を考えられませんでした。だって、結局、エヴァのことばっかり考えてしまい、とにかく寂しいからです。すごく寂しいです。
この完結をすごく嬉しくもあり、それ以上の喪失が自分を襲っている現実が想像以上です。
正直、Qのパニックからもう8〜9年経っていて、自分の生活も変わり、それなりに大人にもなってきたと思っていました。
だから、あまりエヴァへのこだわりも薄くなっていて、見なくてもいいかなぁ、どうせまた、わけわかんない設定とか用語とかいっぱい出てきて、ちゃんと終わってくれないんじゃないのかなとか、パニックになるだけなんだろうなとか、そんなことを思っていました。
いろいろと、全部裏切られて、逆の意味でやっぱりパニックになりました。
もう大人の階段を上って、シンジ君やエヴァの世界とはかなり離れていたつもりだったのに、映画を見ながら、そして最後を見ながら、このエヴァンゲリヲンを見ていた、脆弱で幼い自分を思い出し、そしてその心は、意外とまだ自分の中にしっかりいたんだと感じました。
その気持ちが、溢れてきて、すごく辛くなっています。
こんなこと書くと、見ない方がいいみたいに聞こえるかもしれませんが、やっぱりエヴァは体験であり、自分の脆弱性と向き合って咀嚼し乗り越えていくための物語だと改めて思います。
だから、このタイミングを逃すことなく、人によっては苦しい気持ちになるかもしれないですが、絶対に映画館で体験したほうがいいい、と私は思います。
映画館で体験することは、このタイミングを逃すと一生できないかもしれません。
DVDやテレビ放送では、もったいない。。この体験は是非映画館でしたほうがいいと私は思います。
こんな私も、別に映画自体のファンではないんです。最近はスマホの発達でストリーミングによる動画配信が主流になり、あんまり映画館に行く必要がなくなってきているなと感じるくらいでした。
でも、小さい時は、やっぱり映画館で映画を見るってとても特別な体験でした。
映画を見るために、映画館に行く。たくさんのお客さんと一緒に、その作品をその場で共有し、満喫するという体験は、ストーリーと合わせての思い出です。
あの頃の興奮、期待、そして驚き、感動、すごくフラッシュバックしていきました。
懐かしい、ノスタルジーな感覚がありました。
センチメンタルな気持ちに浸り、本当に久しぶりに感傷に浸ってしまった。
大人になると、感傷に浸っていたら前に進めないから、自分の感情は自制心でコントロールして蓋をしています。でも、幼い時の感覚は心の中に生きていて、ここにいたんだね、ってエヴァを見た時に感じました。
そして、ありがとうと伝えたくなりました。
こんな体験を与えてくれる作品、後にも先にもないかもしれないと感じます。
もちろん素晴らしい作品は他にもたくさんあります。
でも、エヴァは、どうも私にとって特別です。YouTubeでの解説とか感想とかコメントとか、すでにたくさん溢れていて、この感情は自分だけの特別なものではなく、かなりたくさんの人と同じ方向性の感情なんだなと思います。
エヴァが伝えたい人とのつながりの大切さ、心の壁を超えて他者と繋がるために大切なのことの一つは共感性なんだというメッセージを私は受け取っていますが、
エヴァの体験を通して、パニックも感傷も喜びも悲しみも混沌も、様々な感情や感覚を、会ったこともない人と特別な言葉がなくても気持ちを共感させることができることは、エヴァが人をつなげる役割をしてくれているんだと強く思います。
エヴァはエンターテイメントを超えた存在になったと感じました。
完結を見た時に、本当に特別な作品として昇華されました。
改めて、大変な苦労の中、この作品を完成させてくださったすべての関係者の方に感謝をしたいです。
本当にありがとうございました。
今日も、自分の気持ちをぶちまけるだけのブログで申し訳ないです。しばらく、この傷心は続きそうですが、明日は別のことが書けるように、前を向いて頑張ってみます。
どうもありがとう。